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<<   作成日時 : 2014/02/26 11:34   >>

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 「俳句界」3月号が発売された。この号には「3・11は終わっていない」のほかに、「恋のない人生なんて〜恋と愛を詠う」という特集もあって、こちらに私も句と短文を寄せている。

 
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 実際、恋の句を詠むときに思うには、季語がじゃまになるというか、季語とかとは関係なく、心情のみに重点を置いて、それを他のことに託した方が詠みやすいし、成功する確率も高くなるということ。こちらが私の作品が載ったページ。短文の相手が誰かは、適当に想像してほしい・・・

 
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 季も恋もいずれも強いテーマで、事実、古来から多くの和歌集(古今和歌集、新古今和歌集など)でも、春、夏、秋、冬、旅、恋、雑といった部立てをして、それぞれに詠んでいた。花に恋を重ねるなんてこともあったが、そういう場合は恋の方がテーマとしては強いことが多かった。

 俳句の場合は、さらに短くなるのだから、季と恋はぶつかるだろうなとは以前から考えていた。そもそも私が恋の句を詠んでみようと思ったのは、なぜ川柳では恋が詠めて俳句では詠めないのか、疑問に思ったから。

 考えられるのは、俳句は花鳥諷詠が基本と思われていること。従って、恋は俳句にはある意味、邪道に近く受け取られていたらしいこと。また無意識かもしれないが、恋と季語はぶつかりあうことが多いと感じていたのではないか。さらに生の感情を詠むことに対する照れもあったかもしれない。

 その結果?として、恋を詠む場が俳句ではなく川柳になっていったのは当然だったかもしれない。川柳は季語を必ずしも必要としていないし、恋ほど詠んで、あるいは読んで、インパクトのあるテーマはないから。

 そこで、私が恋の句を詠むに当たって考えたのは、季語を入れなければという気持ちからは離れよう、だった。季語と恋は相殺しあうことが多いし、自分が詠みたいことにとって、それが恋のような感情の場合、季節は必要ないことが多いからね。

 でもね。俳句で恋を詠むって、あってもいいんじゃないか。川柳だってがんばっているのだもの。それやこれや考えて、恋を中心に詠み進めたのが、かれこれ20年ほど前。当時、恋の句を作りながら、悩んだのは、季語うんぬんではなく、川柳ではなく俳句で恋を詠むってどういうことだろう、だった。どうすれば、どう詠めば川柳ではなく、俳句になるのか。これはかなり悩んだ。(今もって結論は出ていない部分もある・・・)

 出来上がった句集『天窓から』は、季語がない句もあるね、で無視されたり、スルーされたこともあるけれど、その中でうれしかったのは、句集を読んでくれた橋 間石(正しくは門構えに月)さんから、橋さんの雑誌「白燕」へ原稿依頼が届いたことだった。残念ながら、その途中で橋さんが亡くなってしまったため、私の原稿は日の目を見ることはなかったが・・・

 まあ、それはともかく、こうして私も恋の句を発表できたのはよかった。 
 

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