鎌倉佐弓

アクセスカウンタ

zoom RSS 明智憲三郎『本能寺の変 431年目の真実』

<<   作成日時 : 2014/06/29 22:43   >>

驚いた ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 4

 今、『本能寺の変 431年目の真実』を読んでいる。これがとてつもなく目を覚まさせられるような本なのだ。どこがすごいかというと、これまで歴史で習ってきた本能寺の変の真実を、当時書かれたさまざまな人の日記などから推理しているのだが、これがかなりの信憑性がある。

 「本能寺の変」は織田信長が(織田氏の今後の繁栄をおびやかす脅威だった)徳川家康を、堺から本能寺に呼び寄せ、茶器など見せて隙を作らせ、明智光秀に討たせるつもりだった。それを明智光秀が、逆に早朝に出兵して、織田信長を討つ機会としたのがどうやら真相だったようだ。

 
画像


 この時、明智光秀の計画を知っていたのは、家康、細川藤孝、秀吉の3名。歴史上、この事件を明智光秀ただ一人の犯行にしたのもこの3人。

 この3人のうち、キーパーソンは細川藤孝だと私は思ったのだが、明智光秀は昔、細川藤孝の家来(足軽?)だった。それが細川家の家老に嫌われて、織田の家臣になる。藤孝自身と光秀はうまが合ったようなのだが、やはり、ここは人間同士で、細川家来衆からは光秀は(そのとてつもない出世も含めて)よく思われていなかったようだ。最終的に秀吉が陰謀のすべてをつかむのは、この細川家を通してだった。

 細川藤孝の息子が細川忠興で、彼らはその後、秀吉、家康に厚遇されていったのは歴史の事実。

 私のあぶなっかしい説明より、ぜひぜひ本書を読んでほしい。

 そういえば、先日、光秀の謀反?の原因の一つの長宗我部氏の文書が見つかったとかいうニュースがあった。もしかしたら、私が日本史の授業で習った定説がくつがえる日が本当にくるかもしれない。

 この作者の明智憲三郎氏は、明智残党刈りの手を逃れた光秀の子、おづる丸の子孫という。何という因果だろうか・・・

 

 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 4
驚いた 驚いた 驚いた
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。今、話題の本ですがまだ読んでいません。戦国武将好きの間では大変関心を持たれている「本能寺の変」ですが私も関心があります。私も明智家と関連の深い岐阜県美濃地方在住です。信長の神がかり的な能力の成長を止めてしまったのは光秀であり、光秀も高い計算能力の持主でした。今後も研究されてゆく事件のようです。
花田
2014/06/29 23:58
学者の間では異見もあるようですが、本能寺になぜ織田信長があんなに少ない人数でいたのか、ということの説明がついたと思いました。
ラララ
2014/06/30 10:00
ゴースト本のような気がします。ある程度はあたっているでしょう。カトリックの坊主たちが、キリスト教の唯一神を超える権威を織田信長が作ろうとしていることを察知したなら、たとえば明智を使って、信長を倒すでしょう。
Fujimi
2014/07/02 23:48
そうですね。大いに考えられます。作者はバチカン側の記録も調べてはいるでしょうが、肝心なことはポルトガル語、スペイン語などで書かれ、あるいは記録されずにあったならば、わかりませんね。でも、こういう視点での論考が、誰でも読める形ででてきたことはよかったと思います。
ラララ
2014/07/03 18:08

コメントする help

ニックネーム
本 文
明智憲三郎『本能寺の変 431年目の真実』 鎌倉佐弓/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる