鎌倉佐弓

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zoom RSS うたげの会

<<   作成日時 : 2016/03/17 13:04   >>

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 13日、「うたげの会」に初めて参加した。この会で夏石が俳句について発表するというので、私も聴きに行くことにしたのだ。

 うたげの会なんて雅びな名前だが、中身は2時間ほどの発表を受けて、会場の皆さん(いわゆる文芸評論家とか、文学者とか詩人とか歌人とかの肩書きを持つ人たち。ほとんどの方が自著を持っている)が質問したり、意見を述べるというもの。その指摘の鋭さ、的確さなど、ちょっと雅びとは遠いかなとも思った。

 でも考えようによっては、こういう知的な(嫌味やあてこすりなどがほとんどない)やりとりこそ、雅びと言えないこともないかな、と今は思うが・・・

 
画像


 写真の左が発表者の夏石番矢。右がコーディネーターで会の中心者でもある神山睦美。

 その会に参加して印象的だったのは、短歌と俳句はよく一くくりにされるが、実際は俳句は現代詩につながるが、短歌は純粋な定型詩で、ずいぶん異なるということ。

 歴史の中で和歌が連歌や連句になり、そこから俳句が独立していったのは自然な知的な流れだったのだということ。夏石の発表は、そのあたりを踏まえたうえで、俳句のような短い表現自体、起源が古いのではないか。また世界の様々な場所で短い表現は生まれ、伝えられてきたのではないか、ということだった。(これは私の解釈だからちょっと違うかもしれないが)

 また俳句の内容に関しては、『古今和歌集』などでは春夏秋冬の「四季の部」のほかに恋や旅を詠んだ「雑の部」があり、どちらかというとこの恋を詠んだ歌の方が多かった。俳句ももっと恋(その先も)など詠んでもいいのではないか、という意見もあった。

 私もこれはもっともなことだと思った。人間、生きていれば人を好きになるのは当たり前。そこからさまざまな思いが生まれ、それを表現したくなるのは当然の流れと思う。俳句でも表現できないことはないのに、それを難しくしているものがあるとしたら、季語だなと思った。

 むかしむかし、和歌的に使用できる言葉、できない言葉はたくさんあり、俳句はそれを壊すというおもしろさもあったはずが、いつの間にか、言葉を増やすどころか、季語に縛られて、自分の表現したいことは二の次になってしまったのが現状ではないか。

 そんなことから派生して川柳についても考えていたのだが、そのことはまたいつか機会をみて書きたい。

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Ban'ya
2016/03/18 19:37

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