鎌倉佐弓

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zoom RSS 忙中閑談

<<   作成日時 : 2016/06/08 10:49   >>

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 「俳句四季」八月号の「忙中閑談」という欄に、1400字ほどのエッセイを書いた。

 どんなことを書いたかというと、江戸時代の女流俳人たちについて。

 二年ほど前にまとめて調べることがあって、ああ、江戸時代の女流俳人にも光を浴びさせてあげたい、と考えていた。今の女性俳人(私もふくめて)のためにも、大いなる優れた先達が江戸時代にいたことを、どこかに書いておきたかった。

 じゃあ、どうして伝わらなかったのか。一番大きな原因は、俳諧が俳句になったからじゃないかと思う。皆が集まってわいわい詠んでいた(つまり連句)のが、個人の詠みが優先されるようになった。江戸時代にも、女流の発句集のようなものは、いく度も出版されていて、結構、人気があり、売れもしたようだけど、それでも俳句ではなく、俳諧のうちの発句だった。

 あとは明治時代になってからの男尊女卑のきつさかな。江戸時代は身分制度があって、女性もかなり縛られていたけど、男尊女卑という身分制度ではなかったと思う。

 あとは、男性の側の許容量の広さかな。芭蕉は、どうやら男性の弟子ばかりを大事にしていたのではなく、女性にも問われれば細やかな返事を書いていたようだし。

 じゃあ明治時代は?正岡子規のまわりに妹以外に女性がいたというのは聞かないし、彼も自分の病と生きる時間の足りなさとで、あまり余裕がなかったんじゃないかと思う。それとも女性は嫌いだった?そんなことわからないね。

 もう少し、時代が下って虚子になると、家族に女性が多く、そんな女性が語る気の効いた言葉から、女性にも俳句を詠ませてみたらどうだろう、と思いついたんだね。

 こう見ると、江戸時代の方がかえって女性も自由に俳句を詠めていたんじゃないかと思うけど、それはそれで江戸時代は身分制度がきつかった(特に女性には)から、最終的には、尼という身分制度の外側に立たなければ、俳句を詠み続けられなかった。

 尼といっても実際にお寺に入って、ということではなく、普通の家で普通に暮していたようだが。また、尼のよさは関所を自由に行き来できたことでもあった。それは男性も同じだったかな?そのあたりは、まだきっちり調べていないし、江戸時代でも制度が変わったりするからね。

 とにかく、女流俳人が元気なのが、むしろ本来の姿なのかもしれない。

 「俳句四季」の原稿は、こういうことを踏まえて?江戸時代にも女流はいたという、証明?紹介?のようなことを書いた。締め切りはまだ先なんだけど、もうできている。あとは締め切りが近づいたら、もう一度読み直すだけかな。もし書き直したくなったら?うーん、どうしよう。えい、その時はその時。

 

 

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