「吟遊」第90号が届いた

 今月は、足の痛みをごまかし?なだめ?労りながら、作業を進めている。時々、夫や娘が「どのくらい治った?」と声をかけてくれるのが嬉しい。そんな日々を過ごすうちに、ようやく「吟遊」第90号が納品された。

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 明日は、乾佐伎さんも来れるというので、一緒に発送をする。幸い、埼玉県はコロナの厳しい宣言下にないので助かった。

 

今日の一句 かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す 

 この一週間、整形外科に通ったおかげで、だいぶ楽に歩けるようになった。あとは身体の中からも、治るような食事を工夫しないと。そんなことで少し、気が楽になった。いや、年月が経つと、身体も変わっていくんだね。せめて、俳句はさび付かないようにしたいけど… 

 久しぶりに今日の一句。

 かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す 正木ゆう子 句集『悠 HARUKA』より

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 家の外を風が吹いている。部屋にいて風の音を聞いていると、窓ごしにビュービュー、風がうなりながら過ぎて行く。その風の重みに耐えかねたように、窓もカタカタ鳴る。

 何という風の激しさ。少しでも油断して戸など開けようものなら、家を自分を、何もかもまるごとさらって行きそうだ。この冷たく鋭く容赦のない風に、日々、ただ囲まれているしかないのか。ひたすら座って、通り過ぎるのを待つしかないのか。

 と、そこで、胸の底から強く激しい思いが湧きあがるのに気がつく。この風をはね返したい。負けたくない。このまま風に取りまかれて、打ちひしがれたように生きるのはいやだ。

 そう、この風を飼ってしまおう。飼いならしてしまうのだ。それも鳥の王者ともいわれる鷹として飼うのだ。日々、声をかけ、餌をあげ、撫でて、一緒に遊んで、友だち同士になるのだ。

 そうなれば、この恐ろしいまでに吠え猛る風も恐くない。「ああ風ね。今日も元気ね。いいことだわ」と、平然とやり過ごせるだろう。

 この句の「飼ひ殺す」の向こうに、負けず嫌いな作者が見え隠れするのも、何とも楽しい。

今日の一句 切株の茸かたまる時雨かな

 整形外科に通う日々が続いている。病名は変形性膝関節症。立派な膝の病気だそうだ。レントゲンの結果、この病名をつげられた時は落ち込んでしまったが、このところ、毎日、整形外科に通って治療しているうちに、だいぶ痛みが取れてきた。治療は、超音波やカーボンの光を当ててもらったり、軟膏を塗ったり。膝のどこにどんな作用が起きているのかはわからないが、とにかく労りながらでも、暮らせるのは嬉しい。そこで、元気が出たところで久しぶりに今日の一句。

 切株の茸かたまる時雨かな 小林一茶『一茶俳句集』より

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 茸は、森や林の湿った倒木や切株などに生えていることが多い。じめじめしていると思いながら歩いていると、茸を見かけたりする。この句の茸は、切株に生えていた。「かたまる」だから、茸は二つ、三つ、いやそれ以上あったかもしれない。のんびりとくつろいでいた茸たちに、サアーと降りかかった時雨。

 「やあ雨だよ」
 「大変だあ」
 「どうしよう、逃げ場がないね」
 「もっとこっちに来ないかい。くっつきあえば、雨を避けられそうだ」

 耳を近づけたら、こんな茸たちの会話も聞けるかもしれない。

 この句から見えるのは、切株とそこに生えている複数の茸たち。折から降ってきた時雨に、一茶は、茸がおのれの意思でかたまると見たのだ。さすがに、「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」の一茶である。

 さわさわ茸のあたりが賑やかそうに見えたのは、雨の音ばかりのせいではなかったのだ。

今日の一句 鮎たべてそつと重たくなりにけり 阿部完市

 今日は久しぶりに俳句。

 鮎食べてそつと重たくなりにけり  阿部完市 『現代の俳句』より

 
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 鮎は体長およそ20センチメートルほど、やや緑がかった灰色、華奢ですんなり細身。4月から5月ごろ、産卵のために川に戻ってくると、その可憐な姿のままに泳ぐという。「清流の女王」と呼ばれるのもうなずける。

 私が鮎にお目にかかったのは20代だったころ、信州を旅した時だった。残念ながら泳いでいる姿ではなく、食卓の皿に乗ったそれだった。確か焼いてあったと思う。これが鮎。尻尾のあたりに焦げ目があったが、予想していたより小さいな、と思ったことを覚えている。

 食べてみると、藻類を主食とするだけあって、淡白なあっさりした味わいで、ほのかに苦かったことを思いだす。さらに、食べられる身の部分より骨の方が多いくらいで、あっけなく食べ終えてしまったのだった。

 阿部完治市の句「そつと重たくなりにけり」が生きるのは、確かに鮎だからと納得せざるを得なかった。

 人は、何かを食べて生きていく。何かの命をもらって、いただいて、食べて生きていくのだ。食べた証、頂いた証に、身体が重くなる。日ごろから人間および生命を深く捉え、思考していなければ、できない発想だろう。

 阿部完市はひょうひょうと言葉を使っているようで、実はち密に心をたずね、言葉を探す俳人だった。


 

37年目の結婚記念日

37年前の3月31日は確か土曜日だったと思うが、その日、夏石番矢さんと私は姫路で結婚式を挙げた。式に関して、とりわけ私が覚えているのは、式の朝、午前10時ごろ花屋さんに入ると、かすみ草をたくさん購入した。

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 腕に抱えるほどたくさんのかすみ草をつなげて頭の上にピンで止めた。余ったのは、他の花と一緒にブーケにして手に持った。

 結婚式の朝の心配事が、花屋さんでかすみ草を買えるかしら、だったのだから、今、思い出すとなんとやらだね。

 あの結婚式の日からもう37年経ったんだね。今はコロナ禍で、結婚式を挙げない、いえ挙げたくても挙げられないカップルも多いという。わが家の娘もそんな一人。届は済ませていても、やはり式は挙げたいだろうと思う。

 結婚式場も苦労しているようだ。今まで当たり前だと思っていたことが、どんどん当たり前ではなくなっていく。もう以前のようには戻れないかもと思いつつ、やはり、コロナが終息したら、とあれこれ思い描かずにいられない。それまでに、できることをしなければ。

 あ、そんなことより今はまだ、新型コロナに罹らない、人にも罹らせないことに努めなければ。

今日の一句 コロナ禍の淀む空気に我は咳く

 今日は吟遊同人の加用さんから送られてきた絵手紙から一句を。

 コロナ禍の淀む空気に我は咳く  加用章勝

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 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大につれて、「コロナ禍」という言葉をよく目にするようになった。新型コロナウイルスの底知れない感染の広がりは、さまざまな災難や不幸を世界中で引き起こしている。

 新型コロナの何が怖いかというと、とてつもなく感染しやすいウイルスであること、感染していても気づかず、他の人にうつしてしまうことがあること、人によっては重症化しやすく、命さえ失ってしまうこと。はっきりとした治療法が確立している訳ではなく、ワクチンの効果も今ひとつはっきりしないため、医療機関に多大な負担をしいてしまうこと。

 こうした恐れから、人込みを避ける、人込みを作らない、会食を避ける、人と接触しやすい移動をさけるなど、私たちの暮らし方を見直さざるを得なくしたこと。それは個人にとどまらず、世界的な問題にまで広がってしまっている。

 この句の「淀む空気」は、そうした人々の思いが重なったものと捉えられるだろうか。彼が「我は咳く」としたのは、こうした淀みへのささやかな抵抗、いや、淀みの中で生きるべく自分を鼓舞し、自分を立て直す動作なのかもしれない。

 

  

今日の一句 コスモスの花ゆれて来て唇に 星野立子

 今日は久しぶりに俳句。

 コスモスの花ゆれて来て唇に 星野立子 『続 立子句集 第一』より 

 
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 コスモスの可憐な花がゆれて唇に触れた、あるいは触れそうになった。この時、コスモスの花はどこにあったのだろう。庭に咲いていた。もっと広い草原に咲いていた。いや、そうではなくて立子の家の花瓶の中にあった。もしかしたら、花瓶でもなく、立子自身が手で握っていたのかもしれない。

 いずれにせよ、ここにあるのは、立子のコスモスを見つめる眼差しだ。それもコスモスを大事に思い、包み込むようなまなざし。

 かわいい。きれい。すてき。コスモスから離れがたく思っていた立子。その時、コスモスがゆれたのだ。それもただ揺れたのではなく、揺れて来たのだ。見つめる立子の見つめる立子の唇に。立子の思いが伝わったとでも言いたいようなコスモスの動きだった。立子の思いに応えて、何か告げているような揺れだった。

 この時の立子とコスモスの間には、何かがあったのだろう。たとえばこれがもし人間どうしだったなら、恋の芽生えを思う。いや、まさか、相手はコスモスでしょ?

 だが、立子の使った「唇に」という言葉は、コスモスの揺ればかりか、こちらの心の揺らぎまで誘ってしまったのだった。

部屋の飾りつけ

 私の机の横の壁のデザインを少し変えた。こちらが新しい壁。

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 ベランダへの出入り口に白いカーテンをつけて、壁にゴッホの「花咲くアーモンドの枝」の絵を飾った。

 これまで、何もしなくても、机に座れば目の前に好きなカーテンがあるし、それで十分だと思っていた。ところが、ズームでの話し合いをするため、私のパソコン画面があまりにもさびしいことに気が付いてしまった。

 そこで、どうしようかと考えた結果、殺風景だったベランダの出入り口にはカーテンをつけ、私のすぐとなりの壁にはゴッホの絵を飾ってみた。もちろん絵は複製。本物はアムステルダムのゴッホ美術館にある。

 この絵は、1890年2月にサン・レミ=プロヴァンスに入院していたゴッホが、弟のテオに子供が生まれたのを祝って描かれた。以前、私がこの絵の本物を東京の美術館で見たときは、もう少し青色が柔らかかったように思うが、まあ複製だからね。仕方がない。

 さて、ズームにはどのように映ってくれるだろうか。

 

第2回星の俳句コンテスト

 星田妙見宮で開催された「星の俳句コンテスト」が、2年ぶりに開催されることになった。こちらがその案内。

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 くわしい応募要項はこちら。

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 今回は、このチラシにある葉書に1句を書き、63円切手を貼って投句することになったようだ。もちろん、このチラシ以外の用紙を作成して投句してもよいらしい。 

 星の句の応募は、2021年4月1日から5月31日。審査員は前回と同じく夏石番矢。

 「吟遊」第90号の編集がひととおり終わったので、この星の俳句コンテストのチラシを送る用意をしている。近所のお店や「吟遊」を置いてもらっているジュンク堂書店や東京堂書店にも、置いてもらえるようにお願いするつもり。

 
 星を眺めるのが好きな人は多いと思う。どしどし応募してほしい。どんな句が選ばれるか楽しみだ。 

 

今日の一句 からからと骨鳴り花の蔭に生く

 今日は「吟遊」第90号の原稿の締め切り日。原稿は、だいぶ揃ってきているが、まだ数名が未着。そんなこんなで待ちながら、「今日の一句」を書き進めたい。この「今日の一句」も私にとってはいつか「吟遊」に掲載したい原稿の一つだから。もちろん掲載するときは書き直し、というか付けたししたりするけれどね。

 そこで今日の一句。

 からからと骨鳴り花の蔭に生く 高屋窓秋 句集『河』より

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 この句に、まず私が思ったのは、昔、中学校だったか、高校だったかの理科室に飾ってあった「人体骨格模型」だ。黒っぽい箱に直立の状態でしまわれていたので、見る機会は少なかったが、初めて見たときは驚てしまった。その全身もさることながら、少し触れただけで、腕の骨がぶらり動いてカチャカチャ鳴った、その音に背筋がギクッと、いやゾワッとしたのを思い出す。あの頃は、若かったせいもあるが、この骨格模型が自分にも通じるなんて、ぴんときていなかったが。この句の「からから」という擬音語に、あの理科室の骨格標本を思えばいいだろうか。

 あるいは、この「からから」は、何かの入れ物(たとえば骨壺のような)に入っている骨の音だろうか。その入れ物が置かれたのが花の蔭だった。いや、それでは句の最後、「生く」と異なってしまう。この骨は死者のそれではなく、生きているものの骨のはずだ。

 そこで句集に戻ると、この句の副題に「老衰」とあるのに気がつく。この句は、年老いた状態を詠んだものだった。そう思って句を読むと、浮かんだのは平安時代の歌人として名高い小野小町だった。名高い割には生没年不詳で、生誕地もその晩年もほぼ伝わっていない。この上ない美人だったと伝わるばかり。この句は、「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」(『古今集』)と詠んだ小町が、年月を経て老いてゆく。痩せさらばえ骨と皮ばかりが目立ちながらも、それでも彼女は花の蔭にいるのがふさわしい。そういうことなのだろうか。

 この句が載っている句集『河』を発表した時、高屋窓秋は35歳。その彼が思った「老衰」は、あくまでも美しいものだった。

 

今日の一句 柔らかいとんかつではずむ会話

 今日の一句は自由律句集から

 柔らかいとんかつではずむ会話 本間とろ『純真』より

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 自由律俳句で思い出す俳人の一人に種田山頭火がいる。本間とろのこの句集名は、山頭火の「純真であることの外に私の生きる道はない」という言葉から選ばれた。確かに、この句集『純真』の句からは、本間が自分自身と真摯に向き合って句を詠んでいることがよく伝わってくる。

 さて、とんかつだ。隣りにキャベツが添えられていたかどうかはともかく、見るからに柔らかくておいしそうなとんかつを前に、二人の笑顔がまず思い浮かぶ。

 「おいしいね」「柔らかいよ」「こんなに厚い」「出来立てだね」

 次々に肉を口に運びながら、二人の会話も途絶えることがないのだろう。もし、この二人が久しぶりに会ったのならば、このとんかつは、間違いなく二人の距離を縮めてくれたことだろう。たとえ、初対面だとしても、二人の間の緊張を、あっという間にくずしてくれたにちがいない。

 「覚えている?」「ああ、あの時は笑っちゃったよね」

 次々に上る話題も、このとんかつが笑顔にしてしまう。

 全体に内省的な句が多い句集の中で、この句が放つ明るさは貴重だ。コロナ禍で友と一緒に食事する機会が減ってしまった現在、この句の描き出した風景は、とても懐かしく温かい。
 



 

 

今日の一句 炎天の岩にまたがり待ちに待つ

 今日はこの句。

 炎天の岩にまたがり待ちに待つ  西東三鬼 『変身』より

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 こちらの写真はドイツのライン川流域にあるローレライの岩。この岩には「岩山にたたずむ少女の美しさに、下を行く舟の船頭が魅了され、舟ごと川の渦に吞み込まれてしまう」という伝説がある。それほど、この岩のあたりは流れが急で、うまく航行できなかったらしい。

 三鬼のこの句は「岩にまたがり」とあるから、このローレライの岩ほど大きくない。両足でまたいで足先は地面につくと思えばいいだろう。そうして、炎天下、激しい日差しに、おそらくは汗まみれになりつつ、遠くの何かを待ち続けるのだ。

 いったい、何を待ち続けるというのだろう。人か、鳥か、あるいは雨や風のような天変地異か。「待ちに待つ」から受ける懇願には、必死さすら感じ取れる。さらに言えば、微かなあきらめのような思いも。

 我々が生きていく意味の一つに、待つことがあるのは紛れもない事実だ。父や母の帰りを待つ。食事の用意が整うのを待つ。テストの結果を待つ。入社の知らせを待つ。病院で診察の順番が来るのを待つ。駅で並んで電車が来るのを待つ。そういう「待つ」ことを繰り返しながら、私たちは我慢や辛抱なども学んできたのかもしれない。

 だが、こうした「待つ」は、ほとんどの場合、結果が予想でき、その通りに進んでいくことが多い。たとえ、食事が用意されなくても、がっかりはしても、それならばどうすればいいか、次を考えて実行し、最終的には叶えられるのがほとんどだ。

 ところが、この句の「岩」では、岩にまたがって待つことの目的も、結果も提示されていない。わからないのだ。もしかしたら、意味のない行為でしかないのかもしれない。それでも、我々はひたすら待つ。待っているのだ。

 

 

 

 

第2回星の俳句コンテスト開催決定

 一昨年、七夕文化を広げる一つの催しとして、大阪府交野市の星田妙見宮で開催された「第1回星の俳句コンテスト」が行われた。昨年は残念ながらコロナ禍もあり、見送られてしまったが、今年の七夕には、「第2回星の俳句コンテスト」を開催するという。

 こちらがその趣意書。

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 ・俳句の募集期間=2021年4月1日~5月31日

 ・募集部門=小学生(含幼児)の部、中高生の部、一般の部 の3部門

 ・審査員=夏石番矢

 ・俳題=「星」「星にまつわるもの」
 
 ・表彰式=2021年7月23日 オンラインによる

 主催は「天の川・交野ケ原日本遺産プロジェクト実行委員会」で、「世界俳句協会」と「吟遊社」も後援している。

 詳しい募集要項や応募用紙などはこれから。ホームページもできる。

 ぜひ、大勢の方の応募を期待している。
 

 

「吟遊」第90号の作品

 「吟遊」第90号のための作品15句がようやくできた。今回は「コロナウイルス」がテーマ。最初は、30句くらい作って90号と91号に分けて発表しようかとバンバン?作っていたんだけど、いざ、並べる段階で、どんどんダメだしせざるをえなくなって、結局15句になってしまった。

 うまくいかないもんだね。

 去年はコロナの真っただ中だったから、いや今もさほど状況は変わっていないけど、それでも少しはコロナを客観的に見えるようになってきたのかな。

 その後、英訳も終わって、その磨き上げを依頼したところ。

 ジェームスさんのいる香港が、今、どうなっているかわからないけど……

 もう一つ載せる予定のエッセイ「天地の表情」は、もう書き終わっている。もう少し時間を置いて読み直すつもり。今回のテーマは「野」。意外と?楽しく書けたよ。

今日の一句 切株の耐えられぬとき粉雪よぶ

 久しぶりのブログに、とても久しぶりの桂信子の句。

 切株の耐えられぬとき粉雪よぶ 桂 信子 『桂 信子全句集』より

 
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 この句でまずハッとさせられるのは、「耐えられぬとき」だ。野や林や森や道端などでよく見かける切株。確かに元の大木だったときを思えば、切り倒されて切株になってしまった姿は、確かに無残に見える。それを擬人化し、「耐えられぬ」と詠んだ。

 切株は何に耐えられないのだろう。一見してわかるのは、その切られて短くなった姿そのものだ。どうあがいても、もう元の、梢が天にも触れようかという高さに戻れない。いったん切られてしまった幹は取り戻せない。最初は、短くなったせいで見晴らしがよくなったとか、虫やリスなどの小動物が訪ねてくるのがうれしいかもしれない。人が腰を下ろして休んでくれることもあるだろう。だが、そんなことも一時的なもの。どれも去ってしまったら、どうあがいても切株でしかない自分が残るだけ。あの高く太い幹を取り戻せない、あの風に樹の葉をざわめかせていた日々は帰ってこない。そう気がついたときの切株の思いはいかばかりだろう。

 天を見上げながら、星や月や太陽と会話する切株の日々を続けるしかない。切株はもうそのことに気が付いているのだろう。どうあがいても、切株である自分を認めるしかないとわかっているのだ。だからこそ、「粉雪よぶ」のだ。たとえどんなに冷たくてもよいから、切株という自分を包みこみ、なぐさめ、あわよくば存在を隠す、いえ、存在を消してほしいと願い、粉雪を呼ばずにはいられないのだ。

今日の一句 樅の林の/日の縞の/疑り深き/切株ひとつ

 今日は重信の4行俳句。

 樅の林の
 日の縞の
 疑り深き
 切株ひとつ         高柳重信『蒙塵』より


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 うっそうと葉の茂る樅の木の林に日が射している。その光は、暗く茂った木の葉や枝や幹の間にすばやく隙間を見いだすや、くっきりと斜めの線を引いて行く。そして、地上に届くと、そのまま土や苔まで光で覆っていく。そんな樅の林に、誰がいつ切り出したのか、ひとつの切株がぽつんとあった。他の木と同様に光線を浴びながら。

 重信は、この切株を「疑り深き」と擬人化する。何を疑うのか、なぜ疑うのか。ここからは読み手の想像に任される。私が想像したのは、周りの樅の木へのこの切株の思いである。なぜ自分は切られたのか、切られてどこへ運ばれたのか。クリスマスを祝うために切り出されたのか。どこへ行き、今はどうしているのか。その家を今も飾っているのか。「疑り深」いだけに、この切株の疑念はいつまでも晴れないのだ。

 澤好摩著『高柳重信の一〇〇句を読む』によると、重信は「切株」に関して、冨澤赤黄男の「切株はじいんじいんと ひびくなり」を挙げ、もっとも始原的な『俳句』としていたという。

 この樅の切株の疑り深さは、もしかしたら、「じいんじいんと ひびく」ことへの一つの答えなのかもしれない。ひいては、自分自身の心の吐露であったのかもしれない。


 

今日の一句 春ひとり槍投げて槍に歩み寄る

 今日は、私のが俳句を学んだ師、能村登四郎の作品から。

 春ひとり槍投げて槍に歩み寄る  能村登四郎 能村研三著『能村登四郎の百句』より


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 槍投げの練習は広い場所でないと、あやまって他の人に怪我をさせることがある。であるから、この槍投げはグラウンドのような広い場所で行われていたのだろう。ただ一人、黙々と槍投げを繰り返す青年。能村研三の解説によると、「家の近くにはぷプラ並木が綺麗な歯科大学グラウンドがあったので多分そこで見た」光景を詠んだのだろう。

 シュッ。全身の力をこめて投げられた槍は、鋭い音と空気を切り、ぐんぐん遠くへ飛び、その後、大地に突き刺さる。その位置を見定めると、投げた彼は、ゆっくり大地を歩み始める。投げた時を動の動きとすれば、今、投げられた槍に向かう姿はほぼ静、緩慢とさえ言えそうだ。

 「春ひとり」。春は、この青年をつつみつつ、地上のあらゆるものとともにゆっくり移りゆく。一人の若者の動きに、大きな時の巡りをも暗示させる句だ。

 この本が、他の俳句の解説書と異なり、どの一句を読んでも、実際の風景や出来事と結びついた信憑性高いものになったのは、著者が細やかな愛情で結ばれた能村登四郎の実の息子という点にあるのだろう。それもただの息子ではない。父の跡をついで「沖」という俳句結社の主宰となり、多くの弟子をまとめ、俳句の世界に凛と立とうとしている息子なのだ。この本での選句とその読みが確かなのもうなずける。

 

 

今日の一句 吾が憂鬱の窓から花びらにはいられる

 今日はこの句。

 吾が憂鬱の窓から花びらにはいられる 荻原井泉水『劫火の後』より

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 荻原井泉水は河東碧梧桐とともに俳句誌「層雲」を起こし、新傾向の自由律俳句をリードした。弟子には、種田山頭火や尾崎放哉らがいる。

 この句の斬新なのは「吾が憂鬱の窓」というフレーズ。憂鬱は、辞書によると、気分がすぐれずふさぎがちなこと。昭和の初め頃、「メランコリー」と同様に西洋からもたらされるやいなや、映画や小説などに登場し、その斬新さ、ハイカラさで人々の心を引き付けた。

 俳句の世界でも、新傾向を標榜していた「層雲」に、この言葉を使った句が発表された。これまでと違う自由な言葉やリズムで、新しいものにも挑戦する悩み多き若者たちに、「憂鬱」はまさにうってつけの言葉だった。

 窓辺にいたら、風に乗って花びらが入ってきた。春にはめずらしくない情景だが、「憂鬱の窓」という斬新な表現が、この句を生き生きと血の通ったものにし、なおかつ、読む者の心も引き付けている。

 ところで、この憂鬱という言葉、病的な場合もそうでない場合も、今ではごく当たり前に使われるが、昭和の初めに入ってきたというならば、それ以前は似たような心の状態は、どう呼ばれていたのだろう。

 調べたところ、明治、江戸時代にはよく「気鬱」あるいは「気鬱の病」などと言われていたようだ。気鬱は漢方からきた言葉で、たとえば気鬱の病と思われていたのが結核だったり、家どうしの結婚が当たり前の当時、失恋も相当なもので立ち直れない、というようなこともあったという。

世界俳句協会の名簿ができてきた

 今、少しずつ世界俳句協会の名簿2020年版を作成している。3月は年度末だし、『世界俳句2021 第17号』もできあがる。その時に発送できなければ大変だ。ということで進めているが、今年は世界的なコロナの流行もあって名簿の変動が激しい。いつもなら、申し込み用紙が届いて、会費が届き、少し遅れて作品の順になるのだが、2020年度は、まったく変則的になってしまった。国によって郵便事情が異なることをあらためて思っている。順調にできたのは日本国内に住む会員さんたちの分だけだった。それでも、4,5日もかければできそうだから嬉しい。

 いずれ、この仕事もどなたかにバトンタッチできればと思っている……

今日の一句 栗甘くわれら土蜘蛛族の裔

 久しぶりに今日の一句。

 栗甘くわれら土蜘蛛族の裔 津田清子 句集『七重』より


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 土蜘蛛は古代、大和朝廷に従わなかった人たちを指す。蜘蛛のように脛が長かったとも、「狼の性,梟の情」を持ち狂暴だったと言われている。主に、ヤマトの国の山野で穴を掘り、石室を築いたりして暮らしていたという。大和の民から見れば異形。土蜘蛛と蔑称で呼びたくもなったのだろう。

 写真の土蜘蛛は、地蜘蛛ともいうが、今も地面に生きる蜘蛛だ。彼らとこの蜘蛛とは全く関係がない。そういえば東北以北には蝦夷と呼ばれる民がいた。いろいろ蔑む呼び名はあるものだ。それだけ彼らは大和朝廷から見て神出鬼没?の恐ろしい存在だったのだ。勇敢で、結束力が強く、かなりしぶとい。私が抱く土蜘蛛族のイメージはそんな感じだ。

 さて、この句だが、甘くておいしい栗を数名でほおばっているのだろう。彼ら、彼女らの間で、土蜘蛛族が話題になったのかどうかまではわからないが、とにかくこの一句の中での意外な飛躍はほっておけない。