マネーロンダリング

 マネーロンダリングは、私には遠い話だと思っていたが、世界俳句協会の会計として海外から会費が送られてきたり、海外から句集など出版したりすると、お金のやり取りが国際化せざるを得なくなる。

 世界俳句協会の会費が10ドルとか10ユーロであっても、マネーロンダリングの対象になるのだろう。今日、三菱UFJ銀行から「重要なお知らせ」が来てしまった。

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 どうやら、この用紙に必要事項を書いて提出しなければならないようだ。これまではおおむね口頭で済んでいたのだが、銀行側も書類が必要になってきたのだろう。

 ここは協力しないと、今度海外から会費が入金されたら言い訳出来ない。

 日本の銀行も国際化するのだろうか。ハードルはまだ高そうだけど。 

 
 

チーズケーキの思い出

 私がまだ20代半ばで、一生懸命、句会に通って研鑽を積んでいたころ、3年先輩の姉も短歌の世界で頑張っていた。
 
 そんなとある日曜日のこと。赤羽駅のバス停で姉とばったり出会ったことがある。

 「今、帰り?偶然だね。何か食べていかない?」

 どちらも20代だったこともあり、話はあっという間に決まった。

 チーズケーキを食べて帰ろう。

 それぞれ句会と歌会の後の軽い疲れと気分の高揚も重なっていたと思う。

 バス停近くの喫茶店に入ると注文したのがニューヨークチーズケーキだった。

 「ここのチーズケーキ、ほかと違っているよね。おいしいんだよ」

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 濃厚なチーズの味と香り。どこにも無いような真っ白さ。 

 ケーキを口に運びながら、何をしゃべったのだろう。

 それぞれ発表した句や歌のことだったか、家族の話だったか。

 私は、窓の外に見えるバス停に並ぶ人たちを見ながら、チーズケーキのおいしさに満足していた。

 あのチーズケーキがニューヨークチーズケーキという名前だったことを知ったのは、その1年後くらいだったろう。

 まだ、こんがり焼けた色のベイクドチーズケーキが全盛だったころのことである。

シクラメン

 昨年のクリスマス頃、兵庫の安西さんから贈っていただいた薄紫色のシクラメンが1月になっても元気だ。

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 でも1か月近くになるので、この頃はお水をあげるときに少し液体肥料も混ぜてあげている。

 小さな花のつぼみが幾つもついているのがわかったからには、ぜひ咲いて欲しいと思っているから。

 この写真から見えるかどうかわからないけど、花は咲きたいんだよね。

 

朝日新聞さいたま文化

 「朝日新聞さいたま文化」欄に掲載予定の「俳壇選評1月分」を送った。

 特選1句と佳作9句。特選1句には24字×3行の選評を添え、佳作も同様に9句全体で24字×9行の選評を添える。

 もう書きなれたと言いたいところだが、3行って案外くせものだ。

 文章の切り捨て、切り上げ、四捨五入の何でもしないと、なかなかうまく収まってくれない。

 この作業は俳句で鍛えているはずなんだけど、まだしっかり身についていないようだ。

 もうすぐ「吟遊」第85号ができて発送作業が終わったら、いよいよ私の俳句作りが始まるんだよね。

 ちょっと他人事のように書いてみたのは、まだ臭くモードから遠い場所にいたいからだよ。

 

ラベルの印刷

 私が初めてパソコンを買って使い始めたのは、2003年だった。その時はマイクロソフトのウィンドウズ2003で、文章を作成するためのソフトも「ワード2003」を買って使っていた。(その前は今となっては懐かしいワープロだった…)

 それからウィンドウズはVistaとか、バージョンを変えて売り出していたが、私はその間も相変わらずXPを通していた。買い替える時ももちろんxpで、文章のソフトも「ワード2003」を購入し続けていた。

 なぜか。私にとって「ワード2003」が大事だったのは、そこにあるラベル印刷機能を使いこなせなければならなかったから。もし、他のソフトにしてしまってラベルが印刷できなかったら、「吟遊」も『世界俳句』も送ることができなくなる。

 そこで、ウィンドウズXPからウィンドウズ7に買い替えた時も文章ソフトは「ワード2003」というスタンスは変えなかった。ラベルを印刷する方法がわからなくなってしまったら困る。ただそれだけのためにね。そう言えば、このラベル印刷の方法、というかワードの操作を教えてくれたのは「「吟遊」同人の石倉さんだった。わざわざ家まで来てくれて、覚えの悪い私のために手取り足取り(いえ、足までは取らなかったけど)教えてくれた。

 ラベル印刷って、区切られた用紙に合わせて、たとえば住所などを一つ(1か所)ずつ印刷する。その用紙がこちら。

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 A41枚で12か所の住所を印刷できる。ラベルって、世の中には、実にさまざまな大きさのものがある。それもラベル印刷を知る過程でわかってきたんだけどね。さらに同じくA4の用紙に12枚のラベルでも、2×6だけでなく、3×4のものもある。0.1ミリ単位で微妙に位置がずれてしまうことも。

 それやこれやで、今回、とうとうウィンドウズ7からウィンドウズ10に変えざるを得なくなって、文章ソフトも「ワード2016」に変わったときは恐かった。「2003」から「2016」へ一気に変わるんだからね。

 でも、恐れる必要はなかったことが操作を覚えるにつれてわかってきたよ。「ワード文書」の「「差し込み文書」から「差し込み印刷ウィザード」をクリックしたら、「ワード2003」の時と同じもの(全くではないけど)が出てきたから。

 もう一つ、どうなることかと思っていた文字、日本語やアルファベット以外のキリル文字なども、「挿入」をクリックしたら「ワード2003」の時とほぼ同じ「記号と特殊文字」が使えることがわかった。

 変えないでいてくれたんだね。というか、「ワード2003」ってもしかしたら相当よくできていた?とにかく、これで気分も一新してラベルや『世界俳句』の下請け作業?ができる。よかったね。

夏石番矢『犬50俳句』

 夏石番矢さんに『犬50俳句』をいただいた。

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 ハンガリーから出た句集で、50種類の犬をそれぞれ1句ずつ俳句に詠んでいる。

 素晴らしいのは犬それぞれの特徴が、容姿、特性、人間との関わりなどから浮かび上がるようになっていること。なおかつ、犬への愛情もそこはかとなく感じられる。

 この50句の中で私が気になったのは次の犬の句。

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 風に乗るパピヨン裸婦たちの昼食  番矢

 パピヨンは蝶のこと。この犬の耳がまさに翅を開いた蝶そっくりだから、そう名付けられたのだろう。わかりやすいね。

 犬のパピヨンを連れて、草原で昼食をとっている婦人たちが思い浮かぶ。ピクニックができるほど、時間的にも金銭的にも裕福。まあパピヨンを飼えるほどだから、貴族に近いかもしれない。

 それで済めばどうということもない風景だが、「裸婦」の登場がなんともぎょっとさせる。
 
 ここで私が思い出すのは、マネの絵「草上の昼食」だ。この絵の裸体の女性はたぶん娼婦(高級)だろうが、裸であることをまったく恥じていない。むしろ挑戦的なまなざしだ。

 彼女のパピヨンはパトロンに買ってもらったものなのか。微笑ましいものと、生々しく卑猥なものとの対比。
 
 犬の日常がその名前に比べて、やや重く感じられるのも作者の力だろう。

冬の雲

 冬の雲と聞いてどんなイメージが思い浮かぶだろう。この冬、私が見かけた雲には2通りある。

 まずこちら。青空に浮かぶ雲だ。
 
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 ぴんと張り詰めたような美しい青空に、今にも消えそうではあるものの、ゆったりと浮かんでいる。

 もう一つはこちら。

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 空一面をおおいつくした灰色。今にも雨か雪が降ってきそうで、気持ちまで暗くふさがってしまいそうな雲の群れだ。

 どちらも冬の雲だが、どちらかというと空一面をおおう灰色の雲の方が冬のイメージに近いかもしれない。
 歳時記などに登場する句も、そんな暗さ(風景も気持ちも)を思わせる、あるいは暗示するものが多い。
 中には不安感を抱かせるようなものもある。

 確かにそうなんだけれど、じゃあ、もう一方の冬の真っ青な空に浮かぶ白雲の美しさはどう表現すればいいのだろう。
「冬青空」とでも言えばいいのだろうか。ではそこに浮かぶ雲の所在なさ、さびしさはそこから伝わるだろうか。
 おそらく言葉を増やせばおそらく伝わるかもしれないが、それでは俳句でなくなってしまう。
 そんなあれこれを考えていた日々に生まれたのが次の句だった。

 ちぎれ雲ときにはこの指に止まれ   佐弓
 
 この句が生まれてから20年以上経つ。春でも夏でも秋でも冬でもなく、ただ浮かぶしかない雲に私自身を重ねたかった。
 成功しているか失敗作かは、わからない。確かなのは雲と私の気持ちだけだ。
 

 

 


 

七草がゆ

 今日は1月7日。わが家でも朝は七草がゆをいただいた。こちらがその粥。

 
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 画像からお米が見づらいのは、器に先にご飯を入れてその上に七草のおつゆをかけたから。

 病気などでどうしてもお粥を食べて欲しいときは、もちろんご飯とおつゆと一緒に煮るけれどね。

 そうでなければ、お雑煮もお餅に具を乗せて汁をかけている。七草がゆも同じ。その方が何となく見栄えが良いように思えるんだ。

 自己満足といえばそれだけのことだけど。

 七草粥に話を戻すと、私の味付けは塩だけ。それを心持ち多めに入れている。

 以前、だしを加えたこともあったけど、おいしいと思えなくて塩だけの調理法が定着している。

 彩りによいかなと人参を細かく切って足したこともあったけど、七草がゆはそれだけがよいと悟った?ので、以来、七草だけになった。

 お腹いっぱいとは言えないし、小鳥と食事を分け合った気もしないでもないけど、さあ、今年も少しずつエンジンを入れていかなくちゃね。
 

昨年面白かった本

 昨年読んだ本のうち、岳 真也さんから頂いた『光秀の言い分』(牧野出版)がとてもおもしろかったので紹介したい。

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 明智光秀による「本能寺の変」について書かれたものはたくさんある。だが、これが真実だというものは残念ながらない。信長、家康、秀吉と役者はそろっていてそれぞれの動きはある程度わかっているものの、何が彼らを動かし、そこに誰が関係していたかで諸説分かれる。

 岳さんのこの本は、「明智光秀が好きなので」と副題があるように、これまで光秀について書かれてきたことに触れつつ、光秀をばっさり切り捨てたり、負けた者として軽んじたりせず、最後まで愛情を持って光秀に寄り添っているところに好感が持てた。

 もちろん、贔屓の引き倒しで、事実を曲げてもいない。光秀の真面目であっても人間的に許容量が小さかった、あるいは狭かったところや、光秀の当時の状況判断が甘かった(秀吉や家康に比較して)ことなどが、薄々伝わってくるところに、岳さんの筆力があると思った。

 そう言えば、以前同じ著者の『吉良の言い分 真説・元禄忠臣蔵』を読んだ時も、吉良を悪人などと決めつけず、まるまる人間が伝わる書き方をしていたことを思い出す。

 すべては流れのようなもので、それに流されてしまったり、流れに竿を差したりするのが人間なのだと思った。それはどんなに時代が移っても変わらない。

 別に正月そうそう厭世的になるつもりなどないが、とにかく面白い本だ。本屋にも並んでいるし、アマゾンなどでも買える。1600円(+税)は手ごろなのではないだろうか。

今年の埼玉新聞新春詠より

 今年、「埼玉新聞」(1月1日付け)に発表した「新春詠5句」から、気に入っている1句を紹介したい。

  ト音記号くるくる春の港まで   佐弓

その英語訳はこちら

  The treble clef goes
  round and round
  as far as the spring harbor

 (英訳 James Shea)

 埼玉新聞の俳壇選者になってから、元旦に5句を発表させてもらっているが、句を作るときはいつも緊張してしまう。

 今年も案の定、緊張してしまったが、この句は緊張がうまい具合に抜けたときにできた。

 緊張しすぎてもいけないし、緊張しないのはもっと駄目だし、俳句を作るって意外と大変。

 ともあれ、この句、楽しんでもらえたら嬉しい。

 



2020年明けましておめでとうございます

2020年です。明けましておめでとうございます。今年のわが家の飾りはこちら。


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 昨年はこのブログの書き方というか操作方法が変わってしまい、私ももうブログは卒業した方がいいのかな、なんて思い続けていた。
 
 でも、パソコンも変わった(変えざるを得なかった?)ことだし、どうかな、できるかな、とおそるおそる操作してみた。

 すると、できるじゃない。写真まで簡単に載せられたのには驚いたよ。(昨年はブログ一つを書くのに4時間くらいかけてしまった・・・)

 これなら、また再開できそうだ。気が向いたら書く感じだけど、よろしくお願いします。また遊びにきてくださいね。

娘の入籍

 今日2019年8月3日は娘の誕生日。それにもう一つ娘の入籍という喜びが重なった。おめでとう。これから二人で仲良く人生を歩んでくださいね。



この花束は、娘が私たちの結婚記念日に贈ってくれたもの。
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これからは誕生日と結婚記念日が一緒になるね。

ポスターを神保町駅に貼ることに

 9月13日から「世界俳句コンファレンス:俳句は未来へ 俳句は世界へ」(題10回世界俳句協会大会)が開催される。昨年秋に夏石番矢を実行委員長に委員会を立ち上げ、少しずつ計画を進めてきた。

 開催場所、期日、ホテル、海外と国内からの招待詩人や俳人、どういう内容、予算などなど、相談することは山のようだったが、一つ、一つ、話し合い、プログラムを練り上げ、さらにポスターやパンフレットにまとめていった。

 その過程をこなしながら、私は遠い昔、高校2年の秋の文化祭のことを思い出していた。あの時はクラス全員でシェークスピアの劇をしたんだっけ。脚本(シェークスピアの本を少し変えた)、総監督、俳優、舞台背景の絵、照明、効果音、舞台衣装などなど。本当にクラスの皆で意見を出し合い、夏休みも練習や打ち合わせのために学校に通ったんだよね。

 そして本番の日。朝一番の出し物だったにも関わらず、私たちの劇は体育館いっぱいに立ち見も出るほどの盛況ぶりだった。

 あれから何十年たったのだろう。今回、実行委員の皆さんの熱心さに触れながら、情熱に年齢は関係ないのかもしれないなどと思っていた。もちろん知恵や経験を重ねてきた分、実効性や実行力は、高校生の集まりとは桁違いに凄いし。

 そういうことで、明日、私は会場の学士会館の最寄り駅、神保町駅に貼ってもらうポスターを送る。これまでポスターを作ってきたけれど、駅に貼るという発想までは、なかったんだよね。ポスターはこちら。

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Mary Barnet さんの鎌倉佐弓論

 夏石番矢の俳句についてアメリカのMary Barneto(メアリー・バーネット)さんが書いた『At the Top: Haiku and Poetry of Banya Natsuishi』の評論がほぼ終わったのはよかったが、思った以上に疲れていたので、しばし休憩してから、今度は同じくメアリーさんが書いてくれた『HAIKU MEETS THE 21ST CENTRY: THE HAIKU OF SAYUMI KAMAKURA』の翻訳をしていた。

 この本についてはすでに「吟遊」82号に鈴木光影さんが書評を執筆してくれていたのだが、本人が読まないのは申し訳ない気もしたので、ざっとではあったが、翻訳することにした。

 気がついたのは、メアリーさんは日本の文学の歴史についてとてもよく知っていることだった。たとえば漢字の由来から始まり、平仮名は女性が主に用いていたこと。日本には漢詩の一方で、和歌(短歌)があったこと。和歌では藤原氏が活躍したこと。男性と女性のやり取りに歌が用いられていたこと。和歌の5-7-5-7-7-から連歌が生まれ、俳句ができたこと。それはもっぱら正岡子規によってなされたこと。また俳句は日本語の同音異義語を利用することがある、ということにも触れている。

 本当に驚くほどだ。

 だが、一つ気になったことがある。それは、私の履歴?で、二十代のころ俳句の結社「沖」の能村登四郎先生に俳句を学んだのだが、メアリーさんは、私が大学時代、能村先生に教わったと思っているらしいことだった。

 大学にせよ、俳句の結社にせよ、大きく捉えれば私が能村先生に学んだことに間違いはないのだけれど、この日本の結社制度はわかりにくいだろうなと思った。海外ではまず聞かないし・・・
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At the Top : Haiku and Poetry of Ban'ya Natsuishi

先ごろインドのCyberwit.net から出版されたMary Barnet 著『At the Top : Haiku and Poetry of Ban'ya Natsuishi』を日本語に翻訳している。アメリカのメアリー・バーネットさんが夏石番矢の俳句とその詩について論じたものだ。全編が英語なのでとりあえず日本語に訳してみようと思い、少しずつ読み進めている。

 夏石番矢の俳句について論じるに当たって、登場するのはキーツやシェークスピアの詩。またカミュの小説も出てくる。それから音楽や絵画も、番矢の作品の現代性を語るときに欠かせないといったところだろう。

 とにかく私が訳したのはまだ3分の1くらい。残りは何がどう書かれているのか、楽しみに進めることにしよう。

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イタリアからサインの注文

 イタリアから私のサイン入りの『500 Haiku of Sayumi Kamakura』の本が欲しいというメールが届いた。

 本ならばCyber wit. netやAmazon.com に申し込んでもらったら買えるはずだけど、私のサイン入りとなると、どうすれば手に入るのか、ということらしい。

 私もしばし考えたのだけど、私のペイパル経由で本代を払ってくれたら、サイン入りの句集を送れることに気がついたので、そう返事をした。

 ペイパル経由だと、連絡事項として送り先など書けるはずだし。日本からの郵送料はサービスと書いたので、彼も喜んでくれるだろうし?

  
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 本当に注文してくれるかな。もし、注文してくれたら喜んでサインして送ります。

 

句集『未来一滴』

 『未来一滴』(コールサック社、2019年刊)句集を読んでいる。作者は乾 佐伎さん。

   
好きという一語でできた銀河系

 はつらつとした若さ。みずみずしい表現。読み手まで気持ちよくなる句集だ。

 
  
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 水色と白を主体にして、混沌としているけれど、どこか爽やかで明るい未来を暗示しているようなカバーもいい。 

 俳句は、自分の表現したいことを、端的に受け止めてくれる器だとあらためて思っている。

  話はまったく変わるが、この一ヶ月間、ビッグローブから届いたメールで、このブログが使えなくなるのか、その前にやめた方がいいのか、などと考え、ページも開くのを止めていた。

 まあ今となっては取り越し苦労だっんだけど・・・

  ビッグローブさんこれからもよろしくお願いします。



 

 

母の日

 昨日は母の日だった。私も素敵なカーネーションを娘からもらった。

 
 
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 どうもありがとう。いつまでも咲いてくれますように。

 

埼玉新聞の記事

 以前少し書いたが、「埼玉新聞」の私の500俳句集の記事の転載許可が届いた。

 連休をはさんでいたために許可書が届くのが今日になったのだと思う。でも、これで堂々と?転載させてもらえる。

 4月30日付けの記事はこちら。

  
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 UPがうまくないので、少し見づらいかもしれないが、めったにないことなので許して欲しい。

身体が悲鳴をあげた

 身体が悲鳴をあげる、ということを目にしたり、耳にしたりするが、昨日、今日の私もまさにそれだ。

 どうしたのか、身体が悲鳴をあげるときって、足の筋肉が痛くて歩けない、とか、背中が痛くて身体が曲げられない、とかある。要は普段使っていても、使いすぎることの方が多いのだろう。
 
 で、私の場合だが、私はスポーツ選手ではないから、筋肉がどうとか、筋がどう、ということはほとんど起きない。ただ身体でも弱い部分はあって、そこが悲鳴をあげることはある。

 私の弱いところは胃腸。身体や精神に何かあると、ダメージが起きやすい。そして、知らず知らずのうちにダメージは積っていき・・・

 昨日、とうとうお腹を壊してしまった。食べたものがすべて身体から出ていってしまったのだ。

 もうずっと毎日のように何かの用をしていたから、休んでよ、と叫ばれたのかな。

 そこで、今日は薬を飲んで、埼玉新聞俳壇の選評(5月19日分)を送ってから、横になっている。横になって何をしているかというと、寝たり、起きたり、本を読んだり。

 頭の中でちらっと入院していた時のことが浮かんだけれど、大丈夫、今回はそうならないようにするつもりだ。