娘の入籍

 今日2019年8月3日は娘の誕生日。それにもう一つ娘の入籍という喜びが重なった。おめでとう。これから二人で仲良く人生を歩んでくださいね。



この花束は、娘が私たちの結婚記念日に贈ってくれたもの。
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これからは誕生日と結婚記念日が一緒になるね。

ポスターを神保町駅に貼ることに

 9月13日から「世界俳句コンファレンス:俳句は未来へ 俳句は世界へ」(題10回世界俳句協会大会)が開催される。昨年秋に夏石番矢を実行委員長に委員会を立ち上げ、少しずつ計画を進めてきた。

 開催場所、期日、ホテル、海外と国内からの招待詩人や俳人、どういう内容、予算などなど、相談することは山のようだったが、一つ、一つ、話し合い、プログラムを練り上げ、さらにポスターやパンフレットにまとめていった。

 その過程をこなしながら、私は遠い昔、高校2年の秋の文化祭のことを思い出していた。あの時はクラス全員でシェークスピアの劇をしたんだっけ。脚本(シェークスピアの本を少し変えた)、総監督、俳優、舞台背景の絵、照明、効果音、舞台衣装などなど。本当にクラスの皆で意見を出し合い、夏休みも練習や打ち合わせのために学校に通ったんだよね。

 そして本番の日。朝一番の出し物だったにも関わらず、私たちの劇は体育館いっぱいに立ち見も出るほどの盛況ぶりだった。

 あれから何十年たったのだろう。今回、実行委員の皆さんの熱心さに触れながら、情熱に年齢は関係ないのかもしれないなどと思っていた。もちろん知恵や経験を重ねてきた分、実効性や実行力は、高校生の集まりとは桁違いに凄いし。

 そういうことで、明日、私は会場の学士会館の最寄り駅、神保町駅に貼ってもらうポスターを送る。これまでポスターを作ってきたけれど、駅に貼るという発想までは、なかったんだよね。ポスターはこちら。

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Mary Barnet さんの鎌倉佐弓論

 夏石番矢の俳句についてアメリカのMary Barneto(メアリー・バーネット)さんが書いた『At the Top: Haiku and Poetry of Banya Natsuishi』の評論がほぼ終わったのはよかったが、思った以上に疲れていたので、しばし休憩してから、今度は同じくメアリーさんが書いてくれた『HAIKU MEETS THE 21ST CENTRY: THE HAIKU OF SAYUMI KAMAKURA』の翻訳をしていた。

 この本についてはすでに「吟遊」82号に鈴木光影さんが書評を執筆してくれていたのだが、本人が読まないのは申し訳ない気もしたので、ざっとではあったが、翻訳することにした。

 気がついたのは、メアリーさんは日本の文学の歴史についてとてもよく知っていることだった。たとえば漢字の由来から始まり、平仮名は女性が主に用いていたこと。日本には漢詩の一方で、和歌(短歌)があったこと。和歌では藤原氏が活躍したこと。男性と女性のやり取りに歌が用いられていたこと。和歌の5-7-5-7-7-から連歌が生まれ、俳句ができたこと。それはもっぱら正岡子規によってなされたこと。また俳句は日本語の同音異義語を利用することがある、ということにも触れている。

 本当に驚くほどだ。

 だが、一つ気になったことがある。それは、私の履歴?で、二十代のころ俳句の結社「沖」の能村登四郎先生に俳句を学んだのだが、メアリーさんは、私が大学時代、能村先生に教わったと思っているらしいことだった。

 大学にせよ、俳句の結社にせよ、大きく捉えれば私が能村先生に学んだことに間違いはないのだけれど、この日本の結社制度はわかりにくいだろうなと思った。海外ではまず聞かないし・・・
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At the Top : Haiku and Poetry of Ban'ya Natsuishi

先ごろインドのCyberwit.net から出版されたMary Barnet 著『At the Top : Haiku and Poetry of Ban'ya Natsuishi』を日本語に翻訳している。アメリカのメアリー・バーネットさんが夏石番矢の俳句とその詩について論じたものだ。全編が英語なのでとりあえず日本語に訳してみようと思い、少しずつ読み進めている。

 夏石番矢の俳句について論じるに当たって、登場するのはキーツやシェークスピアの詩。またカミュの小説も出てくる。それから音楽や絵画も、番矢の作品の現代性を語るときに欠かせないといったところだろう。

 とにかく私が訳したのはまだ3分の1くらい。残りは何がどう書かれているのか、楽しみに進めることにしよう。

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イタリアからサインの注文

 イタリアから私のサイン入りの『500 Haiku of Sayumi Kamakura』の本が欲しいというメールが届いた。

 本ならばCyber wit. netやAmazon.com に申し込んでもらったら買えるはずだけど、私のサイン入りとなると、どうすれば手に入るのか、ということらしい。

 私もしばし考えたのだけど、私のペイパル経由で本代を払ってくれたら、サイン入りの句集を送れることに気がついたので、そう返事をした。

 ペイパル経由だと、連絡事項として送り先など書けるはずだし。日本からの郵送料はサービスと書いたので、彼も喜んでくれるだろうし?

  
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 本当に注文してくれるかな。もし、注文してくれたら喜んでサインして送ります。

 

句集『未来一滴』

 『未来一滴』(コールサック社、2019年刊)句集を読んでいる。作者は乾 佐伎さん。

   
好きという一語でできた銀河系

 はつらつとした若さ。みずみずしい表現。読み手まで気持ちよくなる句集だ。

 
  
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 水色と白を主体にして、混沌としているけれど、どこか爽やかで明るい未来を暗示しているようなカバーもいい。 

 俳句は、自分の表現したいことを、端的に受け止めてくれる器だとあらためて思っている。

  話はまったく変わるが、この一ヶ月間、ビッグローブから届いたメールで、このブログが使えなくなるのか、その前にやめた方がいいのか、などと考え、ページも開くのを止めていた。

 まあ今となっては取り越し苦労だっんだけど・・・

  ビッグローブさんこれからもよろしくお願いします。



 

 

母の日

 昨日は母の日だった。私も素敵なカーネーションを娘からもらった。

 
 
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 どうもありがとう。いつまでも咲いてくれますように。

 

埼玉新聞の記事

 以前少し書いたが、「埼玉新聞」の私の500俳句集の記事の転載許可が届いた。

 連休をはさんでいたために許可書が届くのが今日になったのだと思う。でも、これで堂々と?転載させてもらえる。

 4月30日付けの記事はこちら。

  
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 UPがうまくないので、少し見づらいかもしれないが、めったにないことなので許して欲しい。

身体が悲鳴をあげた

 身体が悲鳴をあげる、ということを目にしたり、耳にしたりするが、昨日、今日の私もまさにそれだ。

 どうしたのか、身体が悲鳴をあげるときって、足の筋肉が痛くて歩けない、とか、背中が痛くて身体が曲げられない、とかある。要は普段使っていても、使いすぎることの方が多いのだろう。
 
 で、私の場合だが、私はスポーツ選手ではないから、筋肉がどうとか、筋がどう、ということはほとんど起きない。ただ身体でも弱い部分はあって、そこが悲鳴をあげることはある。

 私の弱いところは胃腸。身体や精神に何かあると、ダメージが起きやすい。そして、知らず知らずのうちにダメージは積っていき・・・

 昨日、とうとうお腹を壊してしまった。食べたものがすべて身体から出ていってしまったのだ。

 もうずっと毎日のように何かの用をしていたから、休んでよ、と叫ばれたのかな。

 そこで、今日は薬を飲んで、埼玉新聞俳壇の選評(5月19日分)を送ってから、横になっている。横になって何をしているかというと、寝たり、起きたり、本を読んだり。

 頭の中でちらっと入院していた時のことが浮かんだけれど、大丈夫、今回はそうならないようにするつもりだ。

 

「吟遊」がようやくアマゾンに

 「吟遊」第82号がようやくアマゾンに掲載された。この4月20日には発送を終え、その後、池袋ジュンク堂とお茶の水の東京堂で差し替えを済ませ、あとはアマゾンに載せてもらえばいいなと思っていた。

 そのはずだったが、アマゾンの依頼のサイトを開いても0のまま。おかしいと思いながら数日たって、ようやくアマゾンに質問することを思いついた。

 依頼がこないのですが。

 アマゾンの返事は早かった。まず、こちらのサイトからご質問ください、とサイトを教えてくれたのだ。

 そしてやり取りをくり返すこと2,3回。私にもようやく自分のミスが見えてきた。それは、

 この頃、私がメールのやり取りに使っていたのは、マイクロソフトのOut lookだったのだが、アマゾンの連絡はどうも ウィンドウズのLive mail に届いていたらしいこと。どちらにも届いていておかしくないのだけど、たぶん私の操作ミスなのだろうと思う。

 次のミスは、アマゾンから依頼のメールが届いたら、すぐに(少なくとも3日以内)返事をしなければいけなかったのに、私が気がつかなかったばかりに依頼が消えて?しまったらしいこと。

 見ていないんだから、本当は依頼がなかったかもしれないけど、後で質問したら、すぐにどうすればよいか教えてくれたから、依頼がなかった、あるいは依頼するつもりがなかった、という考えは当たらない、と思う。

 そして今日、質問への答えどおりにちゃんと依頼が届き、私も載せて欲しい「吟遊」代82号の宣伝文句?を記入して吟遊の写真も添えて送ることができた。

  
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 もうそろそろアマゾンに載っているんじゃないかな?やれやれだね。

朝日新聞さいたま総局から電話

 私は「朝日新聞さいたま文化」の欄で、俳句の選者を務めている。先日、そのさいたま総局から、電話があった。電話をくれたのは、いつもの俳句欄の担当さんとはちがう方だった。

 どんなことを尋ねられたかというと、「さいたま総局では、平成から令和に元号が変わることに合わせて、平成を振り返ってみることにした。俳句の平成時代の投句に何か変化はあったか」というようなことだった。

 そこで私は、「俳句欄に寄せられ俳句には、確かに変化はある。でも、それ以上に俳句そのものが大きく変わろうとしているのが平成時代だったのではないか。たとえば国内では、俳句の楽しさが、より広く認識されるようになった。それ以上に、海外でもさまざまな国で、俳句を作る人が増えている。この動きはますます広がると思う」ついでに私のつい最近インドから出版した句集『500 Haiku of Sayumi Kamakura』の宣伝もさせてもらった。

 このようなことを夏石番矢さんの名前を挙げながら話した。電話を下さった記者の佐藤さんは、「へえ、そうなんですか」。電話の向うで驚いている感じがよく伝わってきた。

 そう、俳句の世界は動いているのです。それも私の予想をはるかに越える速さで。私自身にもわからない場所へと。そんなことを思うと不安ではあるけれど、でもこの不安感は記者さんには話さなかった。私の不安感など聞かれていなかったし、あまりにも個人的なことだからね。

 たぶん他のジャンル、たとえば現代詩や短歌、小説、美術などにたずさわる人たちにもこの質問は投げかけられたのだと思う。そうなると俳句は、紙面にどれだけの割合で割かれるのか、微々たるものでなければいいのだけれど・・・

 それでも、記者さん一人だけでも知ってもらうことは大事だ。そう思いながら、私は受話器を握っていた。

 その後、話に上がった私の英訳句集を読みたいと言われたので、これもつい最近出版された世界俳句2019 No.15』と一緒に送らせてもらった。

 

 



 

埼玉新聞の取材

 このほどインドから出版した私の句集『500Haiku of Sayumi Kamakura』への「埼玉新聞」の取材を受けてきた。

 場所は浦和。私は高校生だったころからこの町が好きで、何年(何十年か?)経ってもこういう取材のときなどよく指定させてもらっている。今回も、埼玉新聞社ということもあり、浦和のとある喫茶店で取材を受けてきた。

 担当記者の米山さんは話を引き出すのが上手で、2時間はあっという間に過ぎてしまった。その後、写真撮影だったが、喫茶店では照明が足りないということで、玉蔵院まで少し歩いていった。

 こちらが玉蔵院。浦和では古くからあり有名だ。

 
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 私もこの太鼓橋に立って撮影してもらった。風が強い日だったせいか、桜がよく揺れていた。

 取材の内容は、私の生い立ちから俳句との出会い、どんな思いで俳句を詠んできたか、俳句を英語訳にするきっかけのようなこと、現在の俳句の現状、国内と海外の俳句ねの関心のちがいについてなどだった。

 私が知っていること、わかっていることには限りがあるけれど、それでも話を聞いてくれる人がいて嬉しかった。

 いつ頃実際に紙面に載るのかはわからないけれど、許可が出たらこちらのブログにも転載させてもらおうと思う。

 この頃なぜかにぎやかな私のフェースブックにも載せられるといいね。

朝日新聞埼玉文化賞

 2018年度の「朝日新聞埼玉文化賞」の受賞作が決まった。この賞は、例年、もう一人の選者の落合水尾さんと相談して決めることになっている。

 今年の受賞は正賞、準賞ともたぶん初めての受賞になるのではないだろうか。たぶん、というのは、もしかしたら私が選者になる前に選ばれたことがあるかどうかわからないから。

 わかっているのは一方は男性で、もう一方は女性ということ。名前も年齢もわかっているが、くわしく書きすぎるトン発表されたときの楽しみがなくなるから秘密にしておく。

 毎年、毎月、俳句を作って新聞に投句して、最終的に年間賞にまで選ばれるなんて素晴らしいことだね。

 発表はいつもどおり6月上旬。もうすぐ受賞者の方には、連絡が行くことと思う。

 楽しみに待っていてほしい。

 そして4月、私はもう新年度の選句を始めている。

 素敵な俳句をまた寄せてほしい。

取材

 3月中頃から4月初めにかけて、バタバタと過ごしてしまった。

 特に走り回ったとかではないが、本を出版することは、それだけで慌ただしいようだ。

 今回、私が動いていたのは、『世界俳句2019 第15号』の発送だ。会員名簿の最終チェックをしたり、発送用の封筒に判子を押したり、シールを貼ったり。私ひとりで進めたものもあれば集まってくれた皆さんとおしゃべりしながら作業をしたものもある。封入の終った『世界俳句』を郵便局に持っていく時には、男性の力はやはりすごいなと感心したりもした。

 『世界俳句』の作業と同時に進めていたのが「吟遊第82号」の編集と校正。こちらも同人の阿部さんや会友の乾さんを始め、何名かで手分けしながら行った。

 そのほか、今回さらに作業が重なってしまったものに、私の句集『500 Haiku of Sayumi Kamakura』がある。こちらはインドから届いた時期が今になったわけだから、本当に偶然だ。その本の発送はもっぱら私一人で行った。

 それで終り?ではなかった。実はここに来て、その私の句集『500Haiku…』について埼玉新聞社から取材の申し込みが届いたのだ。もうすでに日本語では活字になっている句ばかりだけど、英訳での出版はまた新鮮なものらしい。

 どんなことを質問されるかな。何を話そうかな。ちょっとわくわくしている・・・


鎌倉佐弓俳句選集

 インドから私の句集『鎌倉佐弓俳句選集 500 Haiku of Sayumi Kamakura』が届いた。昨年から計画というか翻訳を進めていて、ようやくできあがった。

  
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  今回は装丁をインドのサイバーネット社にお願いしていたのだけれど、とても明るい感じにしてくれた。青色もきれいだし。満足している。

 とはいえ、この句集、注文したものがすべて届いているわけではない。大きな郵便小包を2つ送った、という連絡が入っているから、残りは後日、届くのかな。

   すでに日本語では発表した句ばかりだが、この句集に向けて始めて英訳された句もかなりある。

  取りあえず翻訳に力を注いでくださったジェームス・シェイさんに3冊送った。喜んでくれると嬉しい。

 注文はこちらへ http://cyberwit.net/

かくも長き不在

 今日3月16日付の「埼玉新聞」に「かくも長き不在」という見出しがあった。

 この言葉というか、フレーズは、昔、私が小学生だったか、中学生だったかの頃、何度も心の中でくり返していた。なぜ、何が、何のために、誰が、どこで。不在のわけは全くわからないが、とにかく惹きつけられていた。

 それが今日の新聞でわかったのだ。このフレーズは、アンリ・コルビ監督のフランス映画の題名だった。日本での公開は1964年だから、私が10歳ころだ。

 イタリアの映画「ひまわり」と同様に、この「かくも長き不在」も第2次世界大戦中から大戦後の話。ナチスによるユダヤ人への拷問?で記憶喪失になった男とその妻の物語らしい。

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 あの頃のフランス映画(だけとは限らないが)は画面から詩情が伝わるものが多く、今観ても心が揺さぶられる。「かくも長き不在」もそんな映画なのだろう。DVDがあるようだから、今度、観ようかな。

 

 

 

世界俳句協会会員更新

 2019年の世界俳句協会会員の更新が始まった。

 例年は『世界俳句』の出版と同時に始まるのだが、今年は出版社が変わり、誌面も刷新されるので、若干、出来上がりが遅れている。それでも校正も進んでいるので出来上がるのもまもなくだ。

 さて、そのWHA会員の更新だが、昨日、メールで清水さんから国内外の会員に申し込み用紙が送られてきた。それがこちら。

 
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 この用紙は国内会員むけだから日本語。ほかに海外向けの英語の用紙もある。もちろん『世界俳句2020』の投句用紙も日本語と英語バージョンで用意されている。

 ところで昨日のことだが、いよいよ申し込みが始まるなと思っていたら、驚いたことにさっそくペイパル経由で更新の連絡が届いた。

 カナダの会員さんだった。

 もしかしたら、会員の更新連絡を待っていてくれたのかな・・・

東北詩歌集

 コールサック社から『東北詩歌集』という素敵な本が出版された。

  
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  裏表紙はこちら。全作品収録者の名前が掲載されている。

 
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 この本の特徴は、帯文がとてもいいのでそこから引用させてもらう。

 東北に魅了された260名による短歌・俳句・詩などを収録。千年前から東北に憧れた西行から始まり、実朝、芭蕉を経て東北の深層である縄文の荒ぶる魂(こころ)を伝える賢治など、短詩系の文学者にとって東北は宝の山であった。

 私にとって何が嬉しかったかというと、短歌、俳句、詩などが網羅されていること。これらの文学作品が、いろいろ違いはあれど一冊になったことだ。

 形式という互いの垣根はあっても、乗り越えられないものでもなければ、乗り越えてはいけないものではない。あらためて思った。さらに言えば、東北という地が抱える歴史を深く知ることができたのも収穫だった。

 とにかく、この本で私の心まではればれと広がった。大好きな西行の和歌を久しぶりに読めたこともあるけれど・・・

ずぶぬれて犬ころ

 住宅顕信は25歳でこの世を去った俳人。主に自由律俳句を詠んだ。その彼の生涯を映画にしたのが、昨年2018年に完成し、今日は東京での試写会ということで夏石さんと一緒に観てきた。

 
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 この映画の特徴は、1987年に亡くなった住宅顕信の生涯に、その30年後の現在、4人のいじめっ子に苦しみながら生きる中学男子生徒をオーバーラップしていることだ。

 一方は俳句を詠み、もう一方はその俳句を読むことで生きる勇気を与えられ生かされる。その両者を取り巻く家族や教師、友人、さらに俳句の師の描写もとても丁寧で温かく、人間味あふれるものだった。こうした人々とのつながりが作られたのは、顕信自身の人間としての魅力、そこにはもちろん俳句にかける純粋な情熱があったことも忘れてはならないだろう。

 さらに、これらの人間同士が奏でる感情をつなぐ形で、効果的に登場する顕信の俳句も、この映画では重要な配役の一人なのだと納得させられた。

 死と生。いじめとそこからの脱却。強く生きる力を自らのものとする。いくつもテーマは浮かぶが、私にとって嬉しかったのは、その中心に俳句があったことだ。

 もがきながら、自分の20代の心のありったけで俳句を詠んだ住宅顕信。あらためて俳句の持つすばらしさを思わせてくれた映画だった。